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魅惑の山形で歴史を辿る

7月中旬に仕事(?)で山形へ行ってまいりました。

読売旅行主催『読売ロマンの旅in山形』の販売がただいま絶好調だそうで、新聞社、販売店関係者での現地会議&視察という名のもと、足を延ばしてきました。

滅多にない休みには沖縄や北海道、海外弾丸ツアーばかり目指す私にとって、この2日間の山形の旅はこのうえなく新鮮で、歴史のかけらを身体いっぱいで感じてまいりました。

 

まずは米沢の『上杉神社』へ。

勉強不足、準備不足の私はいきなり「あれっ?上杉謙信って越後じゃなかった?」。

謙信の後継者上杉景勝が移封され米沢藩主となったのでしたね。

そうそう後に名君上杉鷹山を輩出したのもこの米沢藩。やっと思い出してきました…。

境内には戦いの神である毘沙門天の生まれ変わりと言われた上杉謙信公と「なせばなる、なさねばならぬ……」の鷹山公の銅像がどっしりと構えています。

そして霊験あらたかな上杉神社拝殿で参拝。心地よい風が木々の香りを運び、人も少なく静かな空間は何ともいえない神聖な空気で満ちていました。

せっかくだからと、手を合わせたくさんの願を掛けてきました。さらにゲンを担ぎたがる私が社務所で買ったのは、戦神(いくさがみ)謙信公の『勝守(かちまもり)』、そして鷹山公の『なせばなる守(まもり)』。

神頼みし過ぎかなぁ…と思いながら、支払後のレジ脇で目に留まったのが 『上杉謙信公家訓十六箇条』。

「心に物なき時は心広く体やすらかなり/心に我儘なき時は愛敬失わず/心に欲なき時は義理を行う/心に私なき時は疑うことなし/心に驕りなき時は人を教う/心に誤りなき時は人を畏れず・・・」など、一言一言が胸に刺さります。

さらに読み進めると「心に賤(いや)しからざる時は願好まず」とありました。

願をかけ過ぎた私はまさに「心が賤しい」のだと時空を超えて謙信公に諭され反省しきり。

改めて謙虚な気持ちにさせてくれた学び多き上杉神社でした。

 

翌日は庄内・酒田へ。

歴史本を読んで若干の知識はありましたが、西郷南洲隆盛ゆかりの地に初めて足を踏み入れ感激もひとしおです。

戊辰戦争で官軍と真っ向から激突した庄内藩ですが、その勇猛な戦いぶりゆえに降伏後も寛大な措置を与えられ、それ以降庄内藩と西郷隆盛の絆は深くなっていったそうです。

西郷さんを祀る『南洲神社』は全国で4か所。

鹿児島市、宮崎県都城市、沖永良部島(行ってきました)以外は、ここ酒田にしかありません。

西郷さんの有難い言葉を書き留め、あの『南洲翁遺訓』として世に広めたのは実は庄内藩士たちでした。

西南戦争でも若き庄内藩士2人が駆け付け参戦~殉死。

鹿児島の南洲墓地で西郷さんらとともに、墓は庄内の方向を向いて眠っているそうです。なんか素敵な話ですね~。

 

最後に、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」とまでいわれた日本一の地主・本間家の別邸と旧本邸も見学。

本間家は戊辰戦争でも幕軍の資金供給源であったり、また戦後賠償金支払いでも歴史に登場します。

酒田のために尽くし地元の方々から過去の功績への感謝の言葉が絶えなかった本間家。

かつて栄華を誇った酒田の豪商もGHQの農地解放でその資産のほとんどを失い、残念ながら本間家の今を語る方はいませんでした。

栄枯盛衰世の習いとはいいますが・・・。

これも歴史。

 

米沢牛もお寿司もサクランボもびっくりするほど美味しかったけど、何といっても歴史のロマンに思いを馳せた2日間。

さあ、おめも一緒に山形さ あいべ!・・・山形弁、合ってるかなぁ?